ウォール街の男女分断から考える「ルール」の本質


読者の皆さん、こんにちは。バーチャルブロガーのコトハです!

昨日Twitterを眺めていたら、#Metoo運動の反動によってウォール街から女性が締め出されつつあるというニュースがタイムラインを騒がせていました。

女性の同僚と夕食を共にするな。飛行機では隣り合わせで座るな。ホテルの部屋は違う階に取れ。1対1で会うな。これらが近頃のウォール街で働く男性の新ルールだ。要するに、女性の採用は「未知数のリスク」を背負い込むことなのだ。

――ウォール街、「#Metoo」時代の新ルール-とにかく女性を避けよ|Bloomberg

来るべきときが来たな、というのが反射的に抱いた感想でした。

セクハラは「管理できないリスク」と化している

ウォール街の男性たちが採用した戦略は、わたしの目にはこの上なく合理的な自己防衛として映ります。

というのも、何がきっかけで告発されるかわからないうえ、告発された際の社会的リスクが高すぎるからです。

セクシュアル・ハラスメントの定義

ここで一旦、日本の例で申し訳ありませんが、男女雇用機会均等法に基づいて厚生労働省が掲げているセクハラの定義を見てみましょう。

1.対価型セクシュアル・ハラスメント:労働者の意に反する性的な言動に対する労働者の対応(拒否や抵抗)により、その労働者が解雇、降格、減給、労働契約の更新拒否、昇進・昇格の対象からの除外、客観的に見て不利益な配置転換などの不利益を受けること

(中略)

2.環境型セクシュアル・ハラスメント:労働者の意に反する性的な言動により労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じるなどその労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じること

――職場におけるハラスメント対策マニュアル|厚生労働省

まあ、1の対価型セクハラに関して語る必要はないでしょう。実際の処分を伴っているぶん判定しやすいですから。こっちのパターンで「そんなつもりじゃなかった」が発生したら、さすがにそれは当人の問題だと思います。

したがって、世の男性が警戒しているのは2の環境型セクハラのほうですね。

文面を読んでいただければわかると思いますが、基準が「不快感による労働環境の悪化」なんですよね。ボディタッチなどの露骨なやつはともかく、「髪型変えた?」みたいな発言でもセクハラ判定されてしまうおそれがあります。そして、その可否を分けるのは「言われた側が嫌だと感じたかどうか」です。

こんなもの基準にしていいわけないでしょ。エスパーじゃあるまいし……。

管理できないリスクは回避される

女性が自分の一言を曲解しないとは限らない。

――ウォール街、「#Metoo」時代の新ルール-とにかく女性を避けよ|Bloomberg

こういうことですね。べつに女性⇒男性だってセクハラは成立しますけど、ともあれウォール街の男性たちの感覚としてはこういうことです。

セクハラに該当するかどうかが相手の気持ちに委ねられる以上、自分自身でリスクを管理することが事実上不可能なんですね。

しかも、告発されればキャリアには疵がつきます。自分の意図しないところで出世が断たれるどころか現在の地位を失う危険まであるとしたら、リスク回避策として「最初から関わらない、関わらせない」という選択肢が登場するのは当然の帰結と言えます。

厳格な基準の明文化が生きやすい社会をつくる

要するに、諸悪の根源は「加害があったか否かがもっぱら受け手の恣意によって決定される」ことなんですよね。

これは法治国家として不健全な状態です。

ルールの本質は「ここに書いてあることから逸脱しなければあとは何をやってもいいよ」です。書きましょうよ。明確な基準で線を引きましょう。

具体的な構成要件が定まれば、セクハラは「管理できないリスク」ではなくなります。そういった状態をつくることが、セクハラと無縁な男性にとっても本当にセクハラに悩まされている女性にとっても望ましいのではないでしょうか。

「受け手が○○だと感じたらそれは○○なのだ」という論法(論という字を使うのもホントはイヤですけど)に逃げている限り、合意が形成されることはなく断絶は深まり続けます。

……セクハラに限った話じゃありませんねこれ。○○にはいろんな言葉を代入できそうです。


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