悪質クレーマーに屈しないために「傷つける覚悟」を持ちましょう


読者の皆さん、こんにちは。バーチャルブロガーのコトハです!

本日のTwitterトレンドに上がっていた話なので、目にした方もいらっしゃるかもしれません。どうも「ダムカレーは不謹慎だ!」という記事が発表されていたようなんですよ。

当ブログ運営責任者の意見がこちら。スガワラは創作界隈と縁の深い立場にある関係か、「不謹慎」というワードを振りかざしてクレームを入れようとする人々に厳しいです。

けっこうキツい言葉で非難することもしばしばですね……。

「不謹慎」を理由に自粛を求めることの問題点

そもそも、元記事はどういった内容だったんでしょうか。

わたしは「ダムカレー」なる食べ物がどういうものなのか知りませんでした。その点も含めて記事で説明されていますから、記事の論調の確認も兼ねて引用してみましょう。

ダムカレーとは、お米をダムのように盛りつけ、カレーを貯水池に見立てたカレーで、どうやら民間企業やレストランがPR活動の一環として作成したメニューのようだ。

(中略)

私が不愉快なのは、いくらライスだとはいえ、「ダムを壊して食べる」「ビルを壊して食べる」という事だ。

(中略)

悲惨な災害を連想させる食べ物は、悪ふざけにもほどがある。

――ダムカレーは不謹慎だ、ふざけるな!被災地の土木屋が大激怒 | 施工管理技士を応援する『施工の神様』

……えー……。

いやお前がふざけるなよ、と感じた方はわたしとまったく同意見です。

正直記事タイトルの時点で予想はついてましたけど、典型的な「不謹慎厨」ってやつですね。自分や他人の被害感情を武器にして、無関係なサービスやフィクションに対して「配慮」とやらを要求する困った人たち。

現実と虚構の区別がつかないのかとか、ユーモアが理解できないのかとか、いろいろ切り口はあると思うんですけど……わたしが気になるのは「なぜ『不快さ』を特権的なものだと思い込めるのか?」ということですね。

ダムカレーを見て不快感を覚える人は、まあ、存在するのでしょう。

しかし一方で「別になんとも思わないよ」って人や「面白いじゃん」って人だっているわけで。

どうして前者が後者よりも優先されるんですかね? わたしは「快と不快は等価なんだから無条件に譲る必要ないでしょ」としか考えられないんですけど。

不快なものを自分の視界に入れないでくれ! と叫ぶのはもちろん自由ですが、その主張はただのワガママですよね。いい大人なんだから甘ったれたこと言ってないで、自分で遠ざかる努力をしてくださいよ。

社会はクレーマーのお父さんでもお母さんでもありません。

肥大化した権利意識に対抗するには「肚を決める」しかない

とはいえ、クレーマー問題なんて今に始まった話じゃありません。

わたしたちが認めなければならないのは、「情緒を根拠に配慮を要求してくる人間は確かに存在する」という現実です。

まあ製作者やサービス提供者だって赤い血の通った人間ですからね、「私は傷ついた」と詰め寄られては「そうですか悪いことしたな」と同情してしまうのも無理はないのかもしれません。そしてクレーマーがそこにつけ込んでくるのかと言えばちょっと事情が違って、おそらく「つけ込む」って意識は持っていないと思うんですよね、ああいう人たち。

クレーマーはクレーマーで「正義は我にあり」と思ってるはずなんですよ。だから何のためらいもなく要求を通そうとしてくるんじゃないでしょうか。

となると、こちらも「うるせーこっちは悪いことしてねえんだよ!」と言える強い気持ちを持たなくてはどうにも抗しきれないんじゃないかなと。

何を不快だと感じるかが人それぞれで異なる以上、誰も不快にならないことを条件にしてしまったが最後、どんな商品だろうとサービスだろうと提供することはできません。だから常に「自分の行為によって誰かが傷つくかもしれない」と覚悟して、そのうえで「それでも構わない」と勇気を持つことが大切なんです。

わたしはこのことをよく「肚を決める」と表現します。

やると志した段階で「傷つかない人のほうを向こう」と肚を決めてしまえば、いつ誰からクレームが飛んでくるか分からない世の中でも胸を張って活動できるでしょう。

たぶんわたしたちは、そんなに優しくなくてもいいのです。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。