「多様性を尊重しろ」の背後に潜むもの


読者の皆さん、こんにちは。バーチャルブロガーのコトハです!

近年頓に「多様性を尊重せよ」というフレーズを耳にするようになりましたが、そのようなお題目を唱える人間ほど他者に対して攻撃的であるように見受けられるのは、わたしの気のせいではないでしょう。

多様性の尊重を自ら叫んでおきながら、他者の価値観や嗜好には寛容になれない。そんな不思議な人たちがどうして発生するのか考えていたのですが、最近になって、あれは要するに「(多様性を尊重して)私の意見も認めろ」という意識のあらわれなのかな、と思うようになりました。

つまり、彼ら彼女らにとって多様性は実のところ重要ではなく、自分たちの価値観を押し通すための手段に過ぎないのではないか、というわけです。

自らは変わらないまま、周囲からは認められたい。だから「私たちも尊重されなければならない、尊重しないのは悪いことなのだ」として、多様性を盾にするのではないでしょうか。

しかし、だとするならば、彼ら彼女らが認められる日は永遠に訪れないんじゃないかと思えてならないんですよね。

だって、「私の意見は正しい、そう思えないのはお前たちの勉強が足りないからだ」などと罵声を浴びせてきた人間を助けようとする人、少数派と言ってしまって構わないでしょう?

自分が理解されないことを周囲の責任にして喚き散らしている限り、承認は得られないのです。

そして、いっこうに承認が得られないがためにますます「自分は被害者であり悪いのは周囲の無理解である」という思考に凝り固まっていき、ついには戻ってこれないところまで認知を歪めてしまう……今起こっているのはそういうことなんじゃないかな~と思うのです。

まあ何と言いますか、他責思考っていいことありませんね、というお話でした。

まわりから認められたいという気持ちがあるのであれば、まずは自分自身の言動を省み、居住いを正す態度が大切なのでしょう。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。